坂田英三 旧ブログ

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実は何も起こらないホッパーの絵

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私はパリに戻って間もなく、ぼけて休館日に行ってしまった(12/18記)グランパレのエドワード・ホッパー(Edward Hopper)展、その後クリスマスの休みになったので避けていたのだが、もう終わり近くなったのであわてて人が少なそうな夜間開館日の最後の時間、夜9時に行った(10時閉館)。
その時は知らなかったのだが、この回顧展は開館以来2ヶ月で58万の入場者を数え2月3日まで延長になり、29日から31日までは夜の11時まで、2月1日(金)から最終日の日曜日の3日間は夜中もぶっとおしで開館することとなった。つまり凄い人気なのだ。
確かにこれは「本当の回顧展」、初期から晩年まで、すべての有名作はあるし、絵と水彩、加えてあまり知られていないエッチングや、食べる為に書いていたイラストもある。
実は先日ご飯に誘ってくれた夫婦が、最初の二つのホールは飛ばせと言われたのでそのとおりにして大正解。というのもホッパー以外の人の作が展示されており、そこからまじめに見ていたら作品数が多いから大変なことになる、かつ入り口は込み合うと相場が決まっているからだ。だから今から行かれる方にはそれを是非勧める。
さて、私の感想だが、絵画的に見て特記することは、彼は「夜の明かり」を発明したことだろう。ちょっと青白っぽい黄色の蛍光性が感じられる光で、昼間の絵でもその傾向はある。発光体のネオンや電球がリアルに絵になる訳ではないから冷たいような柔らかいような、人工的なトリックな色だ。ホッパーの絵と映画の類似性はよく言われるが、これは夜を照明で撮る映画のようなもの、まさに「アメリカの夜」ではないだろうか?
多くの人を引きつける所以であろうのは多分それ以上に描かれた光景、構図だろう。何でもない人影の少ない街角。ホッパーがわざと人物を入れなかったのかどうか知らないが、アメリカの田舎町は、私の3年前のコネティカットの経験ではあんなものだと思う。だがこれが絵になると人は「何かが起きる寸前」の風景と想像する。映画的と言われるのもこの所為だ。映画で殺風景な街角が数秒映るとどうしても、きっとすぐに足音が聞こえてくるとか車がきーっと音を立てて角を曲がって現れる。それで話が始まるのだが、実際の街角では普通は何も起こらない。おそらくホッパーの絵を前にした現代人はこの光景で「何も起きない」ことに耐えられないのではないだろうか? その耐えられないが故の曖昧なる予感がこのホッパー人気の所以ではないだろうかと私は思う。
(写真は誰もが知る多分一番有名な作品"Nighthawks")