坂田英三 旧ブログ

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素晴らしいルドン回顧展

何という2週間だったことか。欧米が原発事故を危機的に警鐘しすぎたという批判が日本から上がっていたが、日本当局は深刻さが確証されてはじめて発表すると言う体質だから、実情が明らかになるのは今から。日本で危機意識が高まるのはこれからかもしれない。
事故は全く終っていないが、国内メディアの報道も巾が出て来たから、もう私がヨーロッパの原子力関係機関の発表を翻訳する必要はないから止め、いつものパリ生活(?)エッセイに。

気持ちも晴れない上に、インターネットを見過ぎて目がしょぼしょぼ、歯の治療であごも疲れて、というはかばかしくない状態でグランパレのルドン展に木曜の午後ふらりと行ったところ:

歳を取ると回顧展と言っても、ああまたピカソ、カンデンスキーってな調子で心も弾まず(かつ回顧展の名に値しないのもあるし)、知っているものの再確認という作業になってきていたが、知っていたはずのルドン、これにはかなり新鮮な衝撃を受けた。特に見直したのは初期の白黒のリト。多色刷りの複製手段と一般に見なされていた石版画で、デッサンの技術を駆使し、驚くべき深みある世界を作り出している。リトをしてここまでの芸術的表現に至った作家はいないのではと思う。目玉しかない無気味な生物のモチーフは有名だが、不気味だけとは言えない不思議な、何やらユーモラスな面も私は感じないではなかった。彼はダーウィンの進化論に非常に影響を受けたそうだが、原始生命や球体(卵?)の中に知性の芽生えを見たような神秘的な自然観も感じられ、一般に「悪夢的」といわれるイメージだが、その中には清々しい感じもあるのだ。
1840年生まれのルドンは90年頃からこの白黒の世界を捨てて色彩の世界に入る。繊細な色彩のパステル画は有名だが、あらためて見てその色彩の強烈さに眼を見晴った。ゴーガンやマチスは明らかに彼に感化された。晩年の作品の装飾性もナビ派、ボナールに受け継がれている。描かれた特殊な世界ゆえに「象徴派」と呼ばれ、近代美術史の造形運動の流れでは河岸にいたような感じだったが、どうしてどうして、「象徴派」という繊細なイメージを拭いさる大胆な色彩実験をして(だから失敗もあり)、どっかりと大きな地位を占めているように思った。

まだ始まったばかりで列もなかった。当然オルリー美術館所蔵品が多いが、アメリカ、オランダ、ドイツ、日本(岐阜美術館から屏風が来ていた。実家の近くこんなものがあったとは)、各国から作品を集めた本当の回顧展。必見です。