坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

このブログの未来?

突然だが次のサイトに美術ブログを開いた。http://eizoecrit.blogspot.fr/

鬱病の人は調子が悪いと引きこもりになるらしいが、私は逆に不調なときの方が色々展覧会などを見てしまう。調子が良いと「自分の作品の方がいいじゃないか」と他人のことなど見向きもしないのだが、調子が悪いときは他の人の作品に感動しやすく、自分は創作を辞めようかと思う。今はあまり乗ってない時で、シャプイザ兄弟を見た後「日本で知られていない作家を紹介するのもいいかもと彼らとラルスのことを書いた。ダリも書いてしまったが、その前に行ったまだ二十歳代の作家の絵も悪くなかった。
このヤフーのブログは写真を複数入れられなかったり、リンクが貼れなかったりの「超初心者向け」で不便。シャプイザ兄弟の複数写真は自分でフォトショップで組み合わせて一枚の写真にした。だから新しいブログスポットの便利さは快適。テーマ別にラベルも貼れるのでも、美術だけでなく全て新しいサイトにしようか考慮中。意見がおありでしたら投稿ください。

尾道

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11月に戻った時に尾道に行った。自分の興味だけでなく、今年の秋に某お金持ち夫人が日本を旅行したいからその企画を考えねばならぬという「仕事」があった。実はフランス人の美術ファンはほぼ全員瀬戸内海の直島に行く。広島も宮島もあるから京都から瀬戸内を辿るとしたら尾道も寄ってもいいかもしれない。フランス人で(ある一定の年齢、教養はいるが)小津安二郎監督の「東京物語」を知らぬ人はいないのだ。私も東京物語で知るのみの街だったので「下見」がてら行ったのだが、昼食に入った港湾沿いのお寿司屋さんのランチは美味しかったが、坂道も景観も特に際立つこともなく感じた。そんな現実の尾道で一番の感動は、銀行の広告と休憩所のパンフレットに抜粋されていた林芙美子がこの町を慕って書いた文章だった。
その話をパリにも戻って日本人のGさんに話したら彼が全集と随筆集を貸してくれた。読み出したのだがこれがなかなかシンドイ。私は今年になっても「安息年」を抜けそうもなく、真剣に行きたかったの1/26のロシュフォーの失敗以来、気が抜けて何か悩ましき毎日を続けているので、「放浪記」ではあまりにも貧しい生活に、「浮雲」では(富岡ほど罪深く多くの女性を傷つけていないとは思うものの)だらしなき日本男子の一人としての罪に苛まれて、我が生活にうんざりしてしまった。加えて1ヶ月以来ジンマシンに悩まされ毎晩密度の低い長時間睡眠をむさぼるばかりで、、、。

蕁麻疹の直接の原因は蜘蛛に噛まれたアレルギーらしい。いつもなら数日で治るのが、放っておいたら腿もふくらはぎも至る所真っ赤になり、蜘蛛の巣に足をつっこんだかの如くだから医者に「一体どんなところに住んでいるか?」と問われてしまった。アトリエで住んでいると言うから、おそらくかなりひどい状況を思い浮かべられたのだろうが、林芙美子に比べたら私の生活は王侯貴族。かつ冬で蜘蛛の姿は見えないし、蜘蛛ごときでこんなひどい蕁麻疹などにはなったためしはない。ちょうどその頃食べた「きわどく」なっていた羊肉の所為か、あるいはいつもの粉洗剤がなくて、同じマークだが「敏感皮膚用」と特記してあった液体洗剤にしたのが逆に悪かったのか、ひょっとしたら1月に大片付けをした時の埃が舞っていて???などと想定しては、掃除をしたり洗濯したり、制作には到底熱が上がらない。仏アカデミーの某大先生がラジオで「昔の貴族やナポレオンの水浴姿の肖像がないのは、皆皮膚病を患って汚く、興がさめるからセックスも服を着てした」と言っていたが、なかなか治らずそれを笑えなくなって来た。それに比べ日本は、夏は薄着だし、町民の裸の姿など浮世絵でよく見られるから、やっぱり風呂文化は公衆衛生に大いに貢献していたということだろう(というかヨーロッパ王宮が豪華な装飾に似かわず非衛生的すぎた?)。このままだと私も日本の温泉へ転地療法を考えねばならないかも。「安息年-2」は湯治年? もうそれでもいいけど。

元に戻ると、最初に書いた「旅行の仕事」、実は急にあっさりキャンセルになってしまった。おつきあいでお金の心配もなく普通なら経験できないこともできたかもしれないので、残念と言えば残念だが、旅行企画のみでなく、夫人およびお友達夫婦と一緒に旅行し、その後何か関係した作品を制作すると言うことになっていたので、軽く引き受けたものの「旅行エージェント、ガイド、美術家」の一人三役はかなりきつかったと思う。それに相手はフランス人、特に私とは階級が違うので、彼らが一体何が気に入るのかは見当がつかないし、、、(温泉も頭に血が上るのかダメな人がいる)。だからオジャンになってこれは正直ほっとしたが、このほぼ確実で下調べまでした話が何故こうも簡単に流れたか、不思議。

バチカン広場のシレンチョ

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水曜日の夜8時のTVニュースをつけたところ、コンクラーベが終わり、もうすぐ新法王が姿を現すというので、ニュースキャスターと専門家が今か今かと待ちわびていた。微分係数の世界(2/15)で書いたように「法王のことなどに誰が関心あるの?」と日頃思っている私だから「もーう、わざわざニュースの時間に合わせなくてもいいのに。またしてもカトリック国たろうとするメディアぐるみの虚構だ」と不満をかこちつつご飯を食べながら見るともなく実況中継を見ていたら、意外に感動してしまった。それは新法王の名が告げられたとき一斉に歓声が上がると思いきや、サン・ピエトロ広場が一瞬シーンとシレンチョ(沈黙)したからだ。おそらくアナウサーは数名の本命候補の名前しか覚えていなかったのだろう、「誰って言いました?」とスタジオも一瞬うろたえた空気が流れたが、さすがにバチカン専門家は分かり、「大司教なのにブエノスアイレスの普通のアパートに住み、毎朝早朝バスに乗ってスラム街に通う人だ」などと述べ(それだけでもエライ!)、新しい時代が始まるような希望的発言が続いた。かつ大衆の前に現れた、名をアッシジのフランチェスコにあやかった新法王は「先ず私の為に祈ってくれ」という異例の黙祷(私は何のこっちゃと思ったが、専門家によると「自分を大衆と同等の位置に置いた謙虚なる態度」ということ)を行い、私はびっくりしてしまったのだった。

一夜明けるとアルゼンチン独裁政権との関係が翳りないものではないことなど取沙汰されていたり、、、基本的にはそれほど興味がないので探索しませんでしたが、フランチェスコの名を汚さぬようがんばってほしいですね。(写真は2006年12/1付けの懐かしの「霧のアッシジ」を再掲載しました)
私の場合は謙虚にも何もならないが、最近運勢が悪いので、皆さん「私の為にも祈って下さい」ね☺

「スポーツとしての資本主義」のすすめ

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前大統領サルコジーは税金が所得の半分以上課せられるのは馬鹿げているとして、就任早々高額所得者の税を下げたが、それに対し社会党オランドは金持ちは税金を払うべしと「一人百万ユーロ以上の所得には75%課税する」ことを公約に謳い当選した、その「目玉」法案が年末、憲法顧問委員会に却下されてしまった。これはイデオロギー的なものではなく、個人ではなく家庭単位の収入に課税している税制にそぐわないという理由からで、社会党は秋ぐらいには新法案を提出する予定。

私には百万ユーロ(約一億二千万円)の年収があったらどうすればいいのか想像しがたいが、おそらくは生活に困らない。私ならそこで(実際はずっとそれ以下で)満足してそれ以上金儲けなどしようとは思わないのだが、実業家の人はそうでない。おそらく彼らはそれ(商売のスリルとか他の企業との競争など)が好きでしょうがない、生き甲斐なのだろう(としか私には思えない)。だがこの熱意が極端な富の集中となり人迷惑、すなわち社会経済的軋轢を起こしているのは誰の目にも明らか。そこで私の提案。

釣った魚を放すSport Fishingというのがあるが、そらにならって純然と楽しみを追求してもらい、75%どころかある一定の金額以上は100%課税(収入全額が取られるのではなく、規定額からの超過分に対してですので間違えないように。これは75%の話も同じです)するのがSport Capitalism。競争はどれだけ税を納めたかで争ってもらえばいい。世界所得者番付でなく納税者番付。どうでしょう?

残念ながらこれはうまく行きそうもない。というのも大金持ちでないフランス(多分世界の)一般国民も「税金を払うのは大馬鹿者だ」と思っているからだ(所得税申告シーズンにはいかに税金を控除するかと言う特集雑誌などがわんさと出る)。というのは税金が有効に使われてないと思っている、つまりは政府を否定しているからで、それならサルコジーと同じ、病院も社会保険も牢獄も市場におろすネオリベに行くしかない。それはいやでしょ?なら貴方の理想とは遠くとも政府が社会不正義を是正しうることを信じ、かつ個人の経済活動も尊重しつつ徐々に意識革命に誘う、それがSport Capitalismなのです。

昨日70%近いスイス人が国民投票で極端な高額収入を制限する案に賛成したのに刺激されて、私の夢の施策を披露しました。

写真は全く関係ない、私が感心している街角の宣伝のポスター。ネコのオードリ・ヘップバーンもまあまあ、ブヨブヨ犬のドゥパルヂューはロシアパスポートがなければ(2/15参考)誰かは???の出来

マリーの疑問

馬牛肉事件、昨日はイケヤの食堂の肉団子、今日は喜劇役者のフェルナンデスの歌をもじって「パンザニも!」で宣伝していたパンザニ社の缶詰のラビオリからもと次々「馬牛」が出て来て、先日書いた記事で参考にしたページをグーグル経由で開こうと思っても新しいニュースの下に埋まってなかなかでてこない。私の疑問に関して、テレビニュースでは言わないことを取り上げる左翼雑誌の「マリアンヌ」によると:
「ミネレ(肉材?)」になったら牛と馬のが見分けられないかと言うと、「牛と馬では脂肪の色が違う(馬のは黄色い)から霜がついていてもわかる」との専門家の見解があり、
馬肉の危険性あるなしに関しても、食肉用と農耕用では獣医が使う薬が違うので、人間に危険のある薬品が残存する恐れがあると書いてあり、私マリー・アントワネットの心配が根も葉もないことではないことが確認された。ところで朝市で買った鯖、月曜に出してみたらギロチンだった。魚屋のおばさん、よっぽど寒くてキレていたみたい。

ところで去年帰ったとき、何処へ行ってもイベリコ豚と書いてあって、スペインにそんな沢山養豚場があるのか疑問に思ったが、、、(これは他人事なのでマリーは調査致しません)

マリー・アントワネットになった坂田英三

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昨日の馬になった牛の話、初めてニュースを聞いた時は食肉業界の人がなぜ馬肉と牛肉が見分けられないのか不思議だったし、S社が犯人と疑われるのも誰もがそう思うせいだろうが、問題は「ミネレ」なるものにある。この新食材を推進させた人に言わせると「肉を切り取った後にも食用にできる部分があるのに捨てられていた。それを化学技術で取りだして利用できるようになり、食物浪費が少なくなった」。これを普通の肉と50%まで混ぜても「肉」のレッテルが得られる。素人の私には「化学処理」も薄気味悪いが、「賭殺場の現場では検査官がいない時はなんでもぶち込んでいる」という人もいる(ついでに言えば、色々記事を読んだがいつもこの二つの言が引用されていて、新聞記者も一つの情報源からコピーしているだけなのか疑ってしまう)。

まあ殺菌調理してしまえば消費者は病気にならず、製品になったラザーニャはDNA鑑定せねば馬が混ざっているのかもわからないのだから、たいしたものだ。牛は狂牛問題以来「経路確認」ができるようにされたが馬にはそれがない。そしてルーマニアの何十万トンの馬は行方知れずで大方が冷凍食品の牛になったと推測されるわけだが、多分これはお蔵入りだろう。
蚤の市で数ユーロで買ったシャネルの香水が本物だと信じる人はいないように「こんな値段でまともなもの食べてる訳ないでしょう」と言われれば消費者にも責任がふっかかってくる。「儲かりゃ良いってものじゃやいでしょう」が通らない倫理なき悪徳業者(実際今回の事件にはイギリスで起きた馬入りコンビーフ事件で昨年有罪判決を受けた人間も関わっている)を前に「買わない」としか抵抗の余地はない。
「経済危機でお金ないの!」と言われるが、朝市言って鯖なんて買うとびっくりするほど安いけどな~(冷凍ラザーニャの値段を知らない私はマリー・アントワネットかしら?) 今朝は雪の舞う零度の朝市、手がかじかむ魚屋さんに「内蔵は取っても頭は残してよ」と言ったら「親切じゃない」と怒られた。「お頭付きの方がめんどくさい」って。やっぱり私はマリー・アントワネット? でもすぐやってくれたけどね。

写真:調理食品の肉の由来が記載されないように、乳製品の牛乳の由来もわからないとのことで、私の昔の作品「由来ラベル付き」牛乳パック牛がまた意味を持ってきた(2009年7月参考)