坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

尾道

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11月に戻った時に尾道に行った。自分の興味だけでなく、今年の秋に某お金持ち夫人が日本を旅行したいからその企画を考えねばならぬという「仕事」があった。実はフランス人の美術ファンはほぼ全員瀬戸内海の直島に行く。広島も宮島もあるから京都から瀬戸内を辿るとしたら尾道も寄ってもいいかもしれない。フランス人で(ある一定の年齢、教養はいるが)小津安二郎監督の「東京物語」を知らぬ人はいないのだ。私も東京物語で知るのみの街だったので「下見」がてら行ったのだが、昼食に入った港湾沿いのお寿司屋さんのランチは美味しかったが、坂道も景観も特に際立つこともなく感じた。そんな現実の尾道で一番の感動は、銀行の広告と休憩所のパンフレットに抜粋されていた林芙美子がこの町を慕って書いた文章だった。
その話をパリにも戻って日本人のGさんに話したら彼が全集と随筆集を貸してくれた。読み出したのだがこれがなかなかシンドイ。私は今年になっても「安息年」を抜けそうもなく、真剣に行きたかったの1/26のロシュフォーの失敗以来、気が抜けて何か悩ましき毎日を続けているので、「放浪記」ではあまりにも貧しい生活に、「浮雲」では(富岡ほど罪深く多くの女性を傷つけていないとは思うものの)だらしなき日本男子の一人としての罪に苛まれて、我が生活にうんざりしてしまった。加えて1ヶ月以来ジンマシンに悩まされ毎晩密度の低い長時間睡眠をむさぼるばかりで、、、。

蕁麻疹の直接の原因は蜘蛛に噛まれたアレルギーらしい。いつもなら数日で治るのが、放っておいたら腿もふくらはぎも至る所真っ赤になり、蜘蛛の巣に足をつっこんだかの如くだから医者に「一体どんなところに住んでいるか?」と問われてしまった。アトリエで住んでいると言うから、おそらくかなりひどい状況を思い浮かべられたのだろうが、林芙美子に比べたら私の生活は王侯貴族。かつ冬で蜘蛛の姿は見えないし、蜘蛛ごときでこんなひどい蕁麻疹などにはなったためしはない。ちょうどその頃食べた「きわどく」なっていた羊肉の所為か、あるいはいつもの粉洗剤がなくて、同じマークだが「敏感皮膚用」と特記してあった液体洗剤にしたのが逆に悪かったのか、ひょっとしたら1月に大片付けをした時の埃が舞っていて???などと想定しては、掃除をしたり洗濯したり、制作には到底熱が上がらない。仏アカデミーの某大先生がラジオで「昔の貴族やナポレオンの水浴姿の肖像がないのは、皆皮膚病を患って汚く、興がさめるからセックスも服を着てした」と言っていたが、なかなか治らずそれを笑えなくなって来た。それに比べ日本は、夏は薄着だし、町民の裸の姿など浮世絵でよく見られるから、やっぱり風呂文化は公衆衛生に大いに貢献していたということだろう(というかヨーロッパ王宮が豪華な装飾に似かわず非衛生的すぎた?)。このままだと私も日本の温泉へ転地療法を考えねばならないかも。「安息年-2」は湯治年? もうそれでもいいけど。

元に戻ると、最初に書いた「旅行の仕事」、実は急にあっさりキャンセルになってしまった。おつきあいでお金の心配もなく普通なら経験できないこともできたかもしれないので、残念と言えば残念だが、旅行企画のみでなく、夫人およびお友達夫婦と一緒に旅行し、その後何か関係した作品を制作すると言うことになっていたので、軽く引き受けたものの「旅行エージェント、ガイド、美術家」の一人三役はかなりきつかったと思う。それに相手はフランス人、特に私とは階級が違うので、彼らが一体何が気に入るのかは見当がつかないし、、、(温泉も頭に血が上るのかダメな人がいる)。だからオジャンになってこれは正直ほっとしたが、このほぼ確実で下調べまでした話が何故こうも簡単に流れたか、不思議。