坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

唇寒し

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昨日日曜に行った知り合いのアトリエの展覧会、アーティストの一人がアルメニア人だった。アルメニアといえば去年の春にトルコ東部の「エルズルムから行った国境の広大なアニの遺跡(10世紀に栄えたアルメニア王国の都で14世紀に大地震で壊滅した)は素晴らしかった」と口を滑らしてしまった。というのもエルズルムさえその頃はアルメニア王国領。その後めまぐるしく統治者が変わり、16世紀にオスマントルコに統合されるがそして第一次大戦下、トルコがこの地方でロシアとの戦闘に破れた原因が民族意識の強まっていたアルメニア人の所為とし、アルメニア人の弾圧粛正、強制追放がなされる。ここまではトルコ政府もおおよそは認める歴史的事実だが、トルコが認めないのは何十万あるいは百何十万の犠牲者を出したとされる「エルズルムの虐殺」。ヨーロッパ(特にフランス)では明らかな事実とされているが、その後もアルメニア人にはトルコ、ソ連の弾圧が続き、犠牲者がいかほどであったかなどの信頼できる資料はなくなった(このアルメニア人弾圧の歴史は例えば http://www.h7.dion.ne.jp/~gankocat/roma1-13.htm をご参考に )
というわけでアルメニアの「約束の地」(トルコが謝罪すると現アルメニア共和国が領土要求をすると考えられる)を開口一番話題にしてしまったわけで、我ながらあまりにも気遣いを欠いたが、この地域の歴史は馴染みが薄く、ちょっと聞いても理解できず、すぐにすっかり忘れてしまう。頭にあったのはこの写真のような高原に佇むように点在する寺院群の壮大な光景だけだったのだが、「被害者にとっては忘却も無知も無神経さの結果」と硬派の人にはなじられそう。でもねー私の神経にも記憶にも限界がある。自分のことでもすぐ忘れるのだから「仕方ないなー」と寛容に許してほしいのだが。
基本的に民族問題、特に大量虐殺の異常さはそれまで共存していた住民が突然当局の命令に従って隣人を直接間接的に抹殺すること。その解決法が各民族の独立では、当局が一層大衆を洗脳しやすい状況をつくっていると思われる。自らの失言から人間性にも制度にも悲観するばかりとになった。

追記:エルズルムの絵のシンポジウムのことは2010年6月に記載しているが、早朝発戻ったのは夜中過ぎの大強行のアニの遺跡遠足旅行のことは検索しても出てこない。去年は大忙しだったのでブログに書けなかったようだ。