坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

シンポジウムの毎日

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エルズルムのシンポジウムの毎日がいかなるものだったかというと、昨日写真のホールに大勢の人(大多数は学生)が訪れ画家が制作するのを見るのであるが、困ったことには多くの人が写真を撮りたがる。思案中でも「写真を撮るから描いてくれ」とか、製作中でも「一緒に記念撮影がしたい」とか、無茶苦茶で、「今はできないから後で」と英語で言っても通じず、単に断ったと解釈されてしまうから、それを避けて尊大なやつだと誤解されないためには応じるしかない(個人坂田英三ならよいが、こういう場所では日本人代表(私の紹介のパネルには大きな日の丸が、、、(写真後方にちらりと見える))になってしまうから質が悪い。だから私は国家なんて大嫌いだ。こうした人も演奏中のピアニストに一緒に記念撮影がしたいと声をかけることはしないだろうから、画家も制作中は同じこと、大学と言う教育の場だから余計範を示したいところなのだが、いかんせん本当の教授方が話しに興じ記念写真におさまっているから、「ああ慰安会だから」と思い直すしかない。こういう情況だから、出来上がった絵を持って来てた先生の態度も一理ある。私は言葉ができないから何れにせよ制作するしかなかったのだが、兎も角英語ができる人がいないのは困った(無論企画スタッフも英語を話さない)。歴史とは恐ろしいもので、インテリにもドイツ語の方がまだ通じるようだ。最初通訳として学生のE君が現れて安心したのだが、彼は3日後にあった討論会の同時通訳として雇われたらしくそのあと姿を消した。その会議場でヘッドホーンで英語を聞かねばならぬ人は私一人! だが通訳ルームの技術的トラブルでそれもほぼ役に立たずだった。そんなおおげさなことをしてくれなくてもマンモス大学で英文科、仏文科もあるのだから、毎日1時間でもボランティア学生がきてくれたほうが大いに助かったのだが。(実際展覧会オープニングの日には英語を話せる学生が幾人も現れて驚いた)

写真:私の絵の青の部分を塗る画学生S嬢。毎日十数人の画学生が来るのだが、彼らの主な日課は私を含めた(!?)大先生方へのお茶くみとパレット洗い。あまりに教育的配慮がなされていないので彼らに申し訳なく思い、サイトを使って私の作品の説明を試みたが語学の壁の前で挫折。日本と似て社会序列が強いトルコ社会ではこうした徒弟制も当然のことのようだ。でも作品を見せて意見を求めに来る学生やアマチュア画家もいて、これは語学の壁があって私には幸いした。