坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

アートのユートピア

精神病の人も含め美術教育に疎遠な環境で暮らした人の作品はフランスでは普通、ジャン・デュビュッフェ命名に従ってArt Brut アールブリュットと呼ばれる(英語ではアウトサイダーアートが普通か?)。昨日パリのArt Brut専門の画廊で現代美術作家ボルタンスキー(Christian Boltanski)を招いての講演会があった。いつもナチのユダヤ人大量虐殺を喚起させるインスタレーションばかりのボルタンスキーとArt Brutの組み合せは意外なので聴きに行った。ボルタンスキーはフランスの現代美術の一番有名な作家の一人で大規模な作品が多く、そうした事に関したインタビューなどを耳にする限り、高慢というと言い過ぎだが、まあ知的な自己宣伝に長けていると言うか、そういう風に私は彼に良い印象を持っていなかったのだが、昨日は愉快に自分のエピソードを織り交ぜて自分とArt Brutとの関係を語り、自分の創作に関しても非常に謙虚で「アートが規範化されアーティストが経営者になってしまったような現在、Art Brutはアートのユートピアだ」と主張した。
経営者にはほど遠く、展覧会をするのにもさほど興味ない私だが、確かに「美術の潮流」の中で自分の位置を意識して、「こんなことはもうやられたことだから」なんて思い自分で自分の作品に嫌になったりする。一方Art Brutの作家にとってはそんなことは自分には関係なく、パリの画廊で個展をして、ボルタンスキーが話をするということが「現代美術」の世界でどんなに大変な事かなんてことも全く認識外:純粋にしたい事をしているだけ。私だって自分の好きな事しかしないつもりなのだが、そうして「具体的な企画なし」の企画を提案して却下され続けると、やっぱり何か考えるかと思い出す。実際自分の意に反してそれをして現在大不調(何もする気がしない)に陥っている。そんな訳で自分をごまかしに旅行や美術展巡りをしている(毎年書くようにクリスマス前は街が華やかなで滅入るし、その一方で美術館は概して空いているという理由もあるが)。
Art Brutでは嫌になったらすぱっと制作をやめてしまう作家もいる。超有名作家のボルタンスキーにとっても、無名作家の私にとってもArt Brutは自分の行動に照らす鏡のようだ。

 

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(写真は先週の金曜に行ったストラスブルグのクリスマスマーケット)