坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

イヴ・クライン風「雪の絵」

イメージ 1
今朝パリでは雪が少し降った。これは10時半頃のイヴ・クライン方式での雪の跡。
イヴ・クライン(Yves Klein)の作品に関して調べると、必ず「彼は風や雨の跡を記録しようとした」との文章に出会う。そのため私が自分の「雨の絵」のことを話すと、「現代アート通」の方々に「それはクラインがやった」と言われることがしばしばだ、ほぼ真似師と揶揄されているようなものだ。
そのクラインのコスモゴニーと呼ばれる雨の絵に2007年のポンピドーセンターの回顧展で初めて巡り会った。おそらく彼はクラインブルーを厚紙に霧吹きで吹きかけ、そして雨にあてたと思われる。どんなものかは次のサイトで見れる
http://www.yveskleinarchives.org/works/works2_fr.html

この「行動」は同じだが、結果は全然違う。クライン方式では雨粒がぴっしリと決まらない。しかしこの欠点を応用すると形の定まらない雪には適しているのではと考えていたので実験してみた次第。

実は何も起こらないホッパーの絵

イメージ 1
私はパリに戻って間もなく、ぼけて休館日に行ってしまった(12/18記)グランパレのエドワード・ホッパー(Edward Hopper)展、その後クリスマスの休みになったので避けていたのだが、もう終わり近くなったのであわてて人が少なそうな夜間開館日の最後の時間、夜9時に行った(10時閉館)。
その時は知らなかったのだが、この回顧展は開館以来2ヶ月で58万の入場者を数え2月3日まで延長になり、29日から31日までは夜の11時まで、2月1日(金)から最終日の日曜日の3日間は夜中もぶっとおしで開館することとなった。つまり凄い人気なのだ。
確かにこれは「本当の回顧展」、初期から晩年まで、すべての有名作はあるし、絵と水彩、加えてあまり知られていないエッチングや、食べる為に書いていたイラストもある。
実は先日ご飯に誘ってくれた夫婦が、最初の二つのホールは飛ばせと言われたのでそのとおりにして大正解。というのもホッパー以外の人の作が展示されており、そこからまじめに見ていたら作品数が多いから大変なことになる、かつ入り口は込み合うと相場が決まっているからだ。だから今から行かれる方にはそれを是非勧める。
さて、私の感想だが、絵画的に見て特記することは、彼は「夜の明かり」を発明したことだろう。ちょっと青白っぽい黄色の蛍光性が感じられる光で、昼間の絵でもその傾向はある。発光体のネオンや電球がリアルに絵になる訳ではないから冷たいような柔らかいような、人工的なトリックな色だ。ホッパーの絵と映画の類似性はよく言われるが、これは夜を照明で撮る映画のようなもの、まさに「アメリカの夜」ではないだろうか?
多くの人を引きつける所以であろうのは多分それ以上に描かれた光景、構図だろう。何でもない人影の少ない街角。ホッパーがわざと人物を入れなかったのかどうか知らないが、アメリカの田舎町は、私の3年前のコネティカットの経験ではあんなものだと思う。だがこれが絵になると人は「何かが起きる寸前」の風景と想像する。映画的と言われるのもこの所為だ。映画で殺風景な街角が数秒映るとどうしても、きっとすぐに足音が聞こえてくるとか車がきーっと音を立てて角を曲がって現れる。それで話が始まるのだが、実際の街角では普通は何も起こらない。おそらくホッパーの絵を前にした現代人はこの光景で「何も起きない」ことに耐えられないのではないだろうか? その耐えられないが故の曖昧なる予感がこのホッパー人気の所以ではないだろうかと私は思う。
(写真は誰もが知る多分一番有名な作品"Nighthawks")

断水の思い

イメージ 1
今日は断水だった。
晦日の晩は何時に戻って来たか覚えがないが、元旦もそのパーティーの後片付けを手伝ってくれと言われたので正午頃に起きて頭痛に悩まされつつも前夜のパーティ会場に出かけた。言ってみるともう片付いていて(Fおばさんは私より年寄りなのにフランス人だから体力が違う、あるいは私が虚弱なだけか?)、おばさんは小説家のJ氏と昼ご飯を食べだしたところ。結局食べ物の後片付けのみを手伝うことになった。それで午後は終わり、夜も早く寝て今朝は健康的に早起き、コーヒーを入れた頃はまだ水が出ていたのですっかり忘れてしまったが、数日前からビルの入り口に「2日は工事のため9時から5時まで断水」と張り紙がしてあったのだ。日本感覚だと「お正月早々?」となるが、フランスの正月休みは元旦のみ。普通のお店は今日から開いている。だから水道工事があっても何の不思議はない。断水なのに何処からか洗濯機が廻っている音がするほうがよっぽど不思議。
水がないので日課のデッサンは昨日に続き今日もあっさりお休み。フェースブックを眺めると書初めの写真があったので私も「描初め」のかわりに筆ペンで書初め、「断水の思い」と書くことにした。これがただの駄洒落なことはわかっているのだが、恥ずかしいかな元の表現が思い出せない。何度も書いていれば思い出すだろうと思ったがいっこうにダメ。ゴーグルで「断水の思い」と書けば、「断・の思いでは?」と訂正してくれるのではと思ったのだが、見事に「断水の思い」が何件も検索されるばかり、、、 結局「・」が何だったかを思い出したのは晩御飯を食べて終えてからだった。幸いにしてそれほどの悲しみを味わったことがない。やっぱり「断水」でよかった。

オペラ座のクリスマスイヴ

イメージ 1クリスマスは家族のお祭り、普通の家庭に呼ばれても親戚の話とプレゼントの交換でうんざりするばかりなので毎年まじめにどうするか考える気がしない。幸い私を可哀想に思って下さる方々も少しはいるのだが、生半可に返事をしたままで、、、だが前日になって決断をする事件が起きた。当人に迷惑がかかるといけないので細かいことは避けるが、某氏がアクシデントに見舞われてしょげているようなのでオペラ座に誘うことにした。数日前に会った友人のC嬢が、イヴは母親とオペラにバレー「ドンキホーテ」を見に行くと言っていて、なかなかそれは素晴らしい家庭ではないか、どんなお母さんかなあと興味を持ったこともあってそれを考えついた。
あるかないかわからない当日券を目当てに6時にオペラ座に行ったら、やっぱりこんな日に並ぼうという人は稀で、私は3番目(ダンサーの女性、そして家族の後)、絶対に取れると確信。しかし重大なことに気がついた。出し物が違うのだ。今晩パリオペラ座のエトワールが踊るのは、古典のドンキホーテではなく、現代物のウイリアムフォーサイスWilliam Forsythe 3作とトリーシャ・ブラウンTrisha Brown1作。変だけど、答えはごく簡単:ドンキホーテはバスチーユのオペラ座だった!(バスチーユは評判がごく悪い現代版「カルメン」だと思っていた) 
私はトリーシャ・ブラウンが好きだし、建物もガルニエ(旧オペラ)の方が好きだし、席はあるしで簡単に計画変更。「幕間に会おう」と言っておいたC嬢に電話したら「だめじゃない!」と叫ばれたが「ごめんね」で終わり。これだから誰にも好かれる訳がない。しかし大問題は某氏が来ないこと。売り場も意外に早く開いて、困った! 良い席が残っているが、これを並びで買って彼に落ち合えないとかなり悲劇。だからそこを一席、ランク下を一席買った。これは皆さんも知っておいたほうが良い情報だが「オペラ座のチケット売り場ホールは携帯がつながらない」 だから「売り場で待ってるから」とした留守電メッセージだけが頼り。結局開幕5分前にも某氏は現われなかったのでぶつぶつと言いながら一人でバルコニー席に急いだが、思った以上に席がよく、かつ着くや否や大音響で始まったフォーサイスの"In the Middle, somewhat elevated"という87年の作品が凄まじかった。「えええ」「やった」とか叫びたくなるような動きの連続。かつすごいスピードで、まさに息つく暇がない30分だった。これは私が今まで見たバレーの中で一番凄かったかもしれない。これでもう全て満足。あとの作品は、エレガントだったり趣向が盛りだくさんすぎたりして、単純なロック少年の私には最も古い、この畳掛けるような振り付けの"In the Middle…"が圧巻だった。

終わっても某氏から音沙汰がないのは、もしやまた事故ってなんて少しは心配したが、疲れてずーとホテルで寝ていたとのことで、、、チケットは勿体なかったが、どうせ招待するつもりだったし、彼が事故らなかったらこれは見られなかった。だから結果オーライで、変なイヴだが大満足でした。

写真は私がガルニエのほうが好きな理由の絢爛たる大回廊。赤いツリーがありました

成人検診での悟り

イメージ 1
金曜に健康保健の成人検診に行った。50歳(?)を越すと定期検診を受けさせてもらえるのだが、随分昔一度お声がかかっただけでその後音沙汰なし。一度調べたところ「自由業、農民は権利がなくなった」とのことだったが、帰国前に薬の件で事務所に出向いた折に訊いてみたら手続きをしてくれた。
パリに戻ると今日に指定し紹喚状が来ていて、それにはやはり「自由業、農民には権利がないから、この手紙はなかったとするように」とある。でも知合いで検診を受けた人もいるので、それを無視して行くことにした。
時間は午後1時半だが、血液検査のため朝から何も食べてはいけないので、医療センターに着いた時にはかなり腹ぺこ、受付の部屋に誰もいなかったので、入って椅子に座って待っていると、戻って来た女性係員が「入り口の籠に招喚状を入れて待ってなさい」と厳しい口調で叫んだ。彼女は入り口で待っていて籠を指差している。「招喚状はどれだったかなー」とファイルをたぐっていると、彼女は「これです」とそこからカラーの紙を取りだし、そのままデスクに戻った。そして前に来るように言う。そんなことならはじめからデスクで受け取ってくれれば良いのにと思うが、これが「踏むべき手続き」のようだ、まったく共産主義国のごとし。これだからフランスの病院はいやなんだよなー(だから死ぬとき以外には行くなと言われている)。確かに来る人来る人に同じことを繰り返してうんざりするのはわかるが、こっちに当たらないでほしい。しかしこんなことで怒っていてもはじまらない。昔から私は温厚な性格だったが、フランスのこういう手厚い待遇のお陰でますます温厚になったと思う。かつこの女性が人並み以上の美貌の持ち主なので、私の「悟り」は深まるばかり。良い精神修行と思えばなんのその。そのお陰で書類は簡単に受理され、結果、外で私が来る前から待っていたおじさんの順番を抜いてしまったことがわかったが、これは私の知ったことではない。
どうなることかと思ったが、この権威的中年受付嬢の後は、お医者さん、看護婦さん、全員親切で、無事にあっさり終了した。

四方山話はこれまで、では皆さんメリークリスマス
(写真は街で見つけた凝った飾りつけをしたビルの管理人室)

カオス vs 洒脱

イメージ 1
昨日のビルの写真ではわかりにくかったので、ズームで撮って来た。よく見ると私の作品(11月8日写真)とはかなり異なる。先ず第一にビルではバーの長さが明らかに長短2種あるのに対し、私の方はいつも割り箸そのままだから大体長さは同じ。第2にビルはバーの重なりが3段階あるのに、私の箸の重なりは上か下のみの2段階。ビルが階毎に直接バーを固定していることは言うに及ばず、私の方がビルよりもよっぽど厳しい造形的制約の下で造形を試みている。できたデザインがどちらが美しいかというのは主観的問題だが、私の「浮き箸」の方がよっぽどすっきりしてると思うなー(というので表題となりましたが、やはりいつもの自画自賛でしょうか?)

地下鉄の駅まで来たのでついでに評判がよいホッパー展でも見に行くかとグランパレへ。行列もないし、しめしめと入ろうとしたら守衛に行く手を阻まれた。「今日は火曜!」 あれー、また日本ぼけ、日本だと休館日は月曜ですからね。

フランス感覚の私?

イメージ 1
私のアトリエ周辺はオーステリッツ駅からの線路上開発およびセーヌ河貨物港地区の再開発で町並みがどんどん変わっていく。昨日バス通り側から地下鉄に行くと建設中の「やばい」ビルが突然目に入ってきた! 写真のこれだが、構想が私が名古屋の個展で作った箸と爪楊枝の飾り窓(11月8日の写真参考)にかなり似ていると思いません? やだなー、「日本でこんなの作ったよ」と写真を見せたら、「近所の建物の真似じゃないか」と誹られそう。何の建物か知らないが、かなりカオス的雰囲気で、日本のオフィスではあり得ないような気がする。つまり私の美的センスはいつの間にかフランス的になったということだろうか? 私はアラビアの飾り窓を意識したのだが、このビルの建築家もそうなのかな?

その「夢の浮き箸」を含めたLギャラリーでの個展の紹介ウェブページを作りました。私のサイトはあまりにも前近代的で見にくいと一部に評判が悪いので、ネット上のソフトで普通に作ってみましたのでご覧下さい。

http://eizo26.wix.com/eizo-sakata