坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

ニルス・ウド 再論

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「浜辺、森、あるいは砂漠、インスタレーションの企画がどこであろうと、いつも同じアプローチです。第一準備のデッサンはほとんどしない。あらかじめアイデアを考えずに現地に行く。ある意味で子供の頃の散策の継続で、自然の中を歩き、それに反応し、私を囲むものすべてにオープンでいる」 これはニルス・ウドさんの言葉。やばい、いつも私が言っていることと同じだ。だから私が二番煎じと思われてしまうのか? 展覧会資料の引用を続けよう。「そしてそこでアイデアが非常に速く浮かんで来、それを順次に書きとめる。2006年に米国のサウスカロライナの植物園で巨大な巣を作った時は、2日間現地を歩き、奇麗な傾斜の草地を見、森の境界にあるこの坂の真ん中を掘って巣をつくるべきだと思った。他のインスタレーションと同様、周囲にある材料、この場合は竹と松の木を使った」 
ここまで読むとちょっと違う。私の素朴な疑問は「何故また巣なんだ?」(ウドさんは世界中で沢山巣を作っている) 2日間というのもかなり速い! かつ私の場合もアイデアは沢山生まれるが大抵考えが変わる。この辺が大アーティストと私の違いかもしれないが、ウドさんはオープンと言う一方で、巣をつくるという固定概念があるような気がする(かつそれを期待されている)。あのイラスト的な絵といつも見事な写真から見て、ウドさんが「この場になくては」と言う意味は、ただ「この場に作ると映える」というだけの意味ではないかと思ってしまう。ひがみに聞こえるかもしれないが、ウドさんは先駆者だから皆がはっとするような巣作りをしてもらえばいい。私の関心はそれとは違うというだけのこと。
実生活でも「巣作り」なんてまったく興味を持たなかった私だから、余計にウドさんを斜視しまうしてのかもしれない。
ニルス・ウド 再論、しつこかったですが自分としてはちょっと気になって、、、これにて一件落着。