坂田英三 旧ブログ

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アビザンダ便り6、人形劇と私

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パリで絶賛されている文楽も、ジェワの影絵も見た事はないし、大人になってからのフランス生活だから公園なんかにあるギニョル(指人形芝居)の世界は無縁、人形劇と私は何の関係もないと思っていた。この無関係さが私がホスト先として人形劇団 Titiriterosを選んだ大きな理由だった。彼らから渡された自作CDの一つの子供用とは思えぬ凝ったアレンジを聴いていて、「今の子供はうらやましいなー」なんて思っていたが、妙な湖畔で過去を振り返ってみると、私の人生には「ひょっこりひょうたん島」があることを思い出した。NHKの子供用番組だが、これこそまさにミュージカル人形劇、これは大ファンで毎晩しっかり見ていた。細かい筋どころかほとんど全て忘れてしまったが、井上ひさしの書いた「流れ島」を舞台としたストーリーと奇妙な登場人物は単なる子供用番組ではなかったと思っているが、今見るとどうだろう? 日本の漫画、ポップスが流行る今のフランスなら「ひょうたん島」もいい線行くかもしれませんねー。 
有名なテーマソングはそれほど好きではないが、ストーリーの中で歌われた歌のいくつかは「魔女リカ」(多分マジョリカ島からの語呂合わせだろう)とか今でも覚えている。キューバの人は日本の人形劇はすごいと褒めて、私の知らぬ人の名を挙げていたが、ハイテクの国日本で人形劇は生き続けてたようだ。Titiriterosのコレクションの本によると、19世紀末パリのモンパルナスの有名なキャバレー「黒猫」では、カラン・ダッシュが考案の遠近法とアンリ・リヴィエールの彩色を用いた叙事詩的影絵の上演で一世を風靡したそうだが、店主が亡くなり店じまいし、その技術もすぐにすたれたそうな。
そういえば一時影絵に凝っていたみどりさんが数日前に夢に現れて「英三さんも随分頑張ったからもうやめたら」と言われ「そーねー」と行きかけたのだが薄暗くて気味悪いのでよして戻って来た。彼女が倒れたのはちょうど1年前のこの頃だった(故人の名誉のために言っておきますが、彼女と私はただの友人、特別な関係はありません。彼女の夢枕に現れたのは最初が亡くなってからすぐ、そしてこれが2度目だが、両方とも妙にはっきりした夢だった)

それにしてもどこへ行くのか、私のひょうたん島人生、、、まだまだこの世を彷徨うらしい。

以上長々と書いたのは今日は昨日の暑さの裏返しに朝晩雷雨。朝「雨の絵」を試みたがここの空気は思った以上に乾燥していて、いつもの調子で準備したら絵の具が乾き過ぎ、グッドタイミングに大粒の雨粒をキャッチしたものの絵に全く残らなかった。夕方に再度準備したところバケツをひっくり返したような大雨となり、玄関ドアから水が侵入してきたが、朝の失敗の教訓からそんなことに係ってはいられない。ほったらかしで雨の屋外に出たがやっぱり絵の具の乾きが極端に速く激しい雨から跳ね飛んだしずくまでは記録できなかった。玄関の方はその後備え付けのモップで水を拭った。ピラー夫人が雨が入ってくるからと言っていたが、普通の雨なら道より傾斜して上がっている玄関までは流れてはこない。毎日天気だが降ると大雨、北部とはいえやっぱり南国スペインだけのことはある。

(写真はできた作品の一つ:劇場の裏庭に石で描いたスパイラルクロス)