坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

アーティストの志

岩名監督からわざわざコメントを頂いたことだし、前回のだめ押しで、「作家の志の高さ」について。

アーティストが作家を志すきっかけは誰かの作品に感動したからということが多いだろうが、ただ「誰かさんのような作品が作りたい」というモティヴェーションでは作家にならない。誰かさんがいくら天才であろうと、その人の作品では満足しきれず、自分なりの表現を加えたい願望にかられる。岩名監督がいくら往年のデンマークの映画監督カール・ドライヤー(Carl Dreyer)に惚れ込んでいようと、DVDを繰返し見れば済むものではなく、「ただ聖なるものでなくて性なるものもなくては」(これは御自身の言葉ではなく私の勝手な想像)と満足しきれなくて変な映画を作ってしまう。ただ「聖に性」をということが社会から求められている訳ではないから岩名さんの作品は当然興行的な成功はしない。かつ聖なるものも現代社会から求められているかも疑問(ドライヤーファンなど超マイナー)だから余計成功は遠のく。この論理を逆転すれば、現代社会で成功している作品に社会のニーズにあった新たな要素を加えることが成功への道。でも誰もが考えることでは大成功はしないからちょっとひねりがいる。だから難しいことには違いないが、これは「傾向と対策」の世界に近く、大いなる志とは程遠い。岩名監督、残念でした。私は幸い、ドライヤーを見ても「すごいなー」と満足してしまうだけなので映画作家になる心配はない。
作家の志の高さを高揚するつもりが変な結論になってしまったが、わかっていただけただろうか?

ところで私は愛知のトリエンナーレが「全体のレベルが高い」と評価していたのだが、名古屋であった作家さんは辛口。その人は画廊のオープニングの梯子をしても「3軒行って3軒面白いことなんてめったにない」と不満をもらしておられたが、私としては、3つに1つでも面白いことがあればめっけもので、行った甲斐があったと満足する。その時は私の方が寛容なのかと思ったのだが、良く考えるとどちらが厳しいのか???