坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

低俗、あまりにも低俗な

私のブログは2006年3月4日、カルチエ財団の展覧会の悪口で始まったのだが、昨日のキタノ・ビート・タケシ展は日本の文化程度の低さまるだしの、あまりにもひどい展覧会で絶句。低俗と言うのは何かというと、幼稚な面白さ。私は面白いことが悪いことだとは思っていない。難解な解説を読んでも何とも思わせないような作品より、一目で面白い方が良い美術作品に決まっていると思うのだが、面白いと言っても、女子高生の「カワイー」が「オモシローイ」になった次元ではなく、その直観的な面白さの背景にはある一定の見識および知的経験に基づいている訳で、それがない、第一義的な戯れだけで終るものは幼稚な冗談にすぎないが、カルチエのキタノ展はまさにそれ。
セックスシーンも肉体の虐待ももうスキャンダルになりえない現代アートでは、確かに「超低俗軽薄」は美術館における最後のスキャンダルかもしれない。フランス財団が後援し、天下のカルチエ財団が、映画の神様(と書かれたTシャツをスタッフが着ていた!)の北野武が行うことである、私が先に述べたような教養主義的な見解を完全に覆す、現代アートの正道的な価値の転覆を行う高遠な意図なのか? しかし今まで、ダダにしてもコンセプチュアルアートにしてもマージナルなところから起きていたのだが、今や文化の殿堂(?)が自己否定、文化の完全なる否定に走るのだから、後に残るは荒廃のみ、日本やイタリアのテレビの馬鹿番組をして文化と称するつもりだろうか(展覧会ではタケシのTV番組も紹介)。

こうかなり怒っていたら一緒に行った仏人友達が「そう興奮しなくても会場に誰も感心したような人はいなかったではないか。こんなものにお金を払ったら皆文句を言うに決まっている」となだめられた。

私は初めて「ソナチネ」を見た時、そのオーソドックスなロードムービー風の撮り口にかなり好意を持ったのだが、フランス人が深読みするほど北野武の映画の世界に深さがあるとは思わなかった。この展覧会でその底の浅さがわかってもらえるかもしれない。(時を合わせてポンピドーセンターで彼の回顧映画祭が始まる。)

さて大新聞等にどういう批評がでるか楽しみ。タケシ、カルチエ、フランス財団、ポンピドーセンターを完全に敵にまわす記者がいるかどうか? フランスの文化程度がサルコジー程度に成り果てたかの指標になりそう。何とこの展覧会は秋まで続く。まさかと思うが長蛇の列ができるようなことになったら、私は世を厭うしかなくなるだろう。