坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

哲学的な日本人

先週から毎晩7時半から8時半までラジオでミッシェル・オンフレ(Michel Onfray)の哲学(むしろ哲学史)講座をやっている。雇われ農夫と家政婦の間に生まれ、学位を取った後は大学に残らずノルマンディのカンの工業高校で教鞭を取り(生徒は日本と同様普通科から落ちこぼれ)、2002年にその教職をやめ、カンで無料の市民大学講座をはじめるいう異色の経歴。
ラジオはその市民講座を録音した物で、私は夕飯を作りながらをそれをきいている(今年は超人がテーマ)。ともかくよく喋り(文章の終わりと次の文頭のつながりが極めて速い。ピリオド約1ミリ秒?)、難しいことはわからないし教養がないので批判もできないが、お話として楽しくきいてられる。それが人気の秘密か? でもこれを聴いたからといって「考える」のに役立ちそうにはないが、本人は学校のカリキュラムは「考える」ことを教えないからやめたそうだ。学際的に哲学をとらえ現代にも言及するので、フランスで高等教育を受けなかった私は、フランスの筆記試験で良い点を取る答案はこういう風なのかと察する次第。

ところでオブラックからの帰り、クレルモンフェランで列車待ちをしていたときに話した人が日本贔屓で、「日本人は哲学的だ」と言う。「日本人にフランスの大学入学共通試験をだしたら皆零点だよ」と答えたら「哲学は教えられるものではない」とのたまっていた。会社の集団解雇に対し労働者が経営者を監禁する国だ。それに比べると黙ってすべて甘受する国民は哲学的に見えるのかもしれない。でも達観して受け入れることとただあきらめることとはかなり隔たりがある。何も考えずに社会の掟に従っていることが哲学的に見えるのは禅思想がエキゾチズムのオブラートに包まれているからだ。私の作品に坊主のアシュラが時々登場するのはそれ故である。