坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

コーリャン畑でつかまえて

かをりゃんの中ゆく銃に日の丸を
かをりゃんの上ゆく貨車の屋根にも兵

共に長谷川素逝という俳人が戦地で詠んだものである。数カ月前に友人K君ががくれ、積んだままになっていた文庫本「ひとたばの手紙から」(宇多喜代子)を手に取ったのだが、これがなかなか素晴らしい。硫黄島で亡くなった兵士の手紙の奇跡的なエピソードから始まって、俳人の著者が、あまり知られない(?)少なくとも私は全く知らなかった戦時中に読まれた俳句について評論する。その中に上の2句があったのだが、本の本題からは完全にそれて気にかかったのは兵士素逝が大陸戦地で見た一面のコーリャン畑。韓国の企画は自分の「狂い」を自覚して諦めたものの頭にいつもひっかかっていたので、穀物コーリャン(高粱)と国名Korea(仏語はCoree)が結びついてしまった。検索してみたら「維新後日本を経由して朝鮮半島に到った西洋人がコーリャン畑ばかりなのにあきれてそれが国名になった」と書いてある。「やっぱり!」と思いそうになったのだが明治維新後というのがおかしい。マルコポーロもイエスズ会宣教師も国名をつけなかったはずがない。冷静に考えると「高麗」からきていると思うのだが、、、? 上記の説はハングル語学習サイトの中だったので荒唐無稽だとしたら驚き。

ところで日本を「日の出る国」と言うように、韓国をフランスでは「静かな朝の国(Pays du matin calme)」と呼ぶ。日本では聞いたことがなかったがと思っていたのだが、コーリャンの連想ゲームのお陰で突然「これは朝鮮のことか」と気がついた。でも鮮と静はちょっと意味が異なる。これも調べてみるとフランス版ウキペデイアに「19世紀の宣教師が訳し間違えたが定着した」とある。私としては上記コーリャン説と同じく「19世紀」というのが気にかかる(ここでは国名については「高麗」説であった)。

しかし「静」でなく、正しく「鮮」としても「鮮やかな朝の国」で、とても素敵な名前であることに変わりはない。朝鮮というと蔑視語として悪いイメージを抱いてしまうから、戦時でなくても植え付け(教化?)の結果は恐ろしい。

というような思索(検索?)を経て私に何が起こったかと言うと、「鮮やかな朝の国」に行きたくなって、どうしようもない「ダメもと企画」を性懲りもなく今朝郵送してしまった。メールで「今送った」とは連絡したが、書類到着締切りは20日。ダメもとどころか、本当はダメなのだ(日本と一緒でそういうところは厳しそうだし)。やっぱり我ながら狂っているみたい。