坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

サマルカンドのアシュラ

イメージ 1
紙漉き工房で編み笠もどきを作ったのはアシュラに町を歩かせるため。着物、草履は旅行鞄に入れたが、編み笠はスペースを取り過ぎた。だがアシュラが顔丸出しで歩くのはフィクションとしてのコンセプトに反する。だから編み笠もどきが絶対に必要だった。
さて何処へ行くか? 旧市街はずれにある、遺跡中もっとも感動的なシャヒジンダの霊廟群がアシュラの巡礼地に相応しいのだが、それだけに観光客(とりわけヨーロッパの団体観光客)が多すぎる。遺跡に向かう道が自動車道沿いなのも面白くない。比較検討の結果、バザール近くの裏露地からチムールの奥さんのビビが建てさせた巨大なモスクへ向かう道を取った。
カメラマンはLさんの娘の高校生のG、片言の英語で意図が分かってもらえたかと心もとない限りだったが、私の作品はいつもあるものでまにあわせるのがモットーだから、、、
結果はやはり文化ギャップが大きいので面白い映像となりました。特にこの地では民族衣裳を着た人も多いので、ひょっとしたら何世紀も前ではこうした光景も実際にあったのではと思えるような、、、。現代の背広ネクタイで握手する画一した土俵での世界交流に比べ、昔のシルクロードは直に文化が衝突しあうエキサイティングなものだったのではないでしょうか。多分その頃の異文化への寛容さはもっと深いものであったのではという思いがしました。

(この前の記事を続けて読むには左側のバックナンバー欄10月をクリックください)