坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

英三のサラゴサ観光案内

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地面にアーモンドの木をさした周りが殺風景すぎるから石を敷いてきれいにしようと思っていたが、何をしたのか腰が痛くて、、、レジデンス期間はまだ2週間もあるのでそれは後に回し、無理をせずゆっくり歩く事にしてまた山歩きに出かけた。何と行っても天気は快晴、風があってアビザンダにいると暑いとは感じないのだが、下界は大変、天気予報ではサラゴサの最高気温は35度! そのサラゴサには先週の土曜、劇団のパコさんがパンプローナに行くのに寄るというから連れて行ってもらったのだが、多分30度に至ってなかったと思うが暑くて昼食後は公園の木陰で昼寝をするしかなかった。
実際スペインでは美術館・史跡の多くが午後2時には閉まってしまい、再開する5時頃まで何もすることがなくなるので致し方なかったのだが、久しぶりにスペイン観光をしてこの時間帯を忘れていて泡をくった。というのはサラゴサのメイン観光スポットはピラール広場で、ゴシック様式の巨大な聖母ピラール寺院とイスラムカトリックの様式が混ざった、これも広大なセオ(La Seo)と呼ばれる大聖堂がある。ピラール寺院のセオの内装は本当に素晴らしく、おまけという感じのタピストリー美術館もたいしたものだったので、その後界隈をぶらぶらし、その後に観光案内所に立ち寄った時は昼過ぎ。お茶をしながらもらったモニュメントガイドを見ると、セオはユネスコの歴史遺産だったのだが、もう一つアルハフェリア(Aljaferia)宮というのも歴史遺産になっている。写真でも奇麗そうだし、これは是非行かなくては思ったのだがちょっと離れている。1時間は見学時間がいるだろうしと結構焦って町を横断しアルハフェリアにたどり着いたが、これが見事に期待はずれ。宮殿内のパシオに入った瞬間「こらが?」と首をかしげてしまう。イスラム装飾のほとんどは破壊されたものの部分的修復で、見るに値するのは宮殿を一巡して見学コースの最後の方にある15-6世紀の王位の間ぐらい。わざわざサラゴサに来られる日本人はもうグラナダやコルトバを知っているだろうから、このユネスコ歴史遺産は(専門家を除いたら)落胆しにくるようなものだ。落胆ついでではピラール寺院の博物館。入り口近くにゴヤの天井画のエスキースがあって、これは中にはもっとすごいものがあるのかと思って入館料を払って入ると一間の所謂宝物庫でしかない。これもパスしてください。

パコさんの興行の都合で朝の8時半に着き、6時にまた車で拾ってもらうことになっていて、1日たっぷり観光できると思っていたのが、観光は2時には終わっていた。スペイン観光ではあらかじめ開館時間をチェックしましょう。予備知識なしでこんなことをしている私に比べ、パコさんはサラゴサの前にウエスカで前日舞台をした娘を拾い、サラゴサでもミュージシャンと合流、そして3人でパンプローナで興行。そしてその後も娘はウエスカで降り、違うバンに乗り換えてまた別のミュージシャンとその晩仕事。パコさん本人は翌日モロッコへと超過密スケジュールを見事にこなし、その間に私のパンフレット用の文章も書いてくれた。Hitoの事務所から何か印刷物を作るかというから自分でパンフレットの大まかなレイアウトも急いで作ったのだが、5月中旬の地方総選挙でアラゴン地方の政権が交代、組織が稼働しておらず、数日で貰えるはずだった予算の承諾がすぐに下りないということになって頭に来ております!

スペインではその選挙前からチュニジアエジプト革命を真似て若者たちが広場で泊まりこみ「直接的民主主義」を要求。先週の土曜はちょうど地方政権内閣が「間接的」に選ばれる日で、ピラール広場もこのとおりでした。