坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

ウズベキスタンの枯山水

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できました! 我ながら感激。それがひとしおなのはゴーサインがでたはずの企画(10月2日参考)だったが、タシケントに着いて展覧会(タシケンターレ08:写真ビデオビエンナーレ)担当者V氏と会うと、「貴男の企画は色々難しい」とスタートポイントに戻ってしまっていた。一応ブハラで世話を焼いてくれるブハラ写真館のF氏を紹介してくれたのだが、、、。
ブハラにはサマルカンドを経て13日(月)着。当然ながら(?)F氏は私の企画のことは寝耳に水、だがこの人はタシケントののらりくらりに似ず恐ろしく計画的な人だった。私の説明を聞くや友人の土建屋(?)A氏に電話、彼の案内ですぐに空の池(ハウズと呼ばれる)を幾つか視察(企画書の写真に使いゴーサインが出ていたハウズは水が張られていた)、一番希望に叶ったのはブハラ唯一の女性のためのマドラサ(神学校)前の25m四方以上もあろう巨大なハウズ。雑草が生え、枯れ木やゴミが投げ込まれていたハウズを掃除し、砂を敷き詰めるのは到底私が一人でできる仕事ではない。かつ17日には展覧会の会場設置作業にタシケントに戻らねばならないのだ。そこでA氏が翌朝に見積りをだし、それを私が受ければ、市当局に掛け合い許可をすぐに取り、工事開始、2日で私が砂に水のモチーフを描ける状態にするというスケジュールが決定された。
翌日からスケジュールは見事その通り実施され、私もブハラ歴史建造物局の局長と会談、出発前(6日)に作った砂かきの歯を使って実験し、砂の注文と熊手もどきを特注。ハウズの準備が16日の午前に完成、午後に一発本番で砂庭を作り、写真に納め、その夜の夜行でタシケントに戻り、朝にV氏にプリント依頼するという充実した日程をこなした。まあ個人的には8人の人夫さんが働いてくれたので、できるかでできないかの緊張感を除いては楽勝でしたが、、、。