坂田英三 旧ブログ

2013年までのブログです

イヴ・クラインと私

イヴ・クラインの回顧展がポンピドーセンターで開催されている。イヴ・クラインは青のモノクロームの絵も、火で焼いた絵も好きで、当然私の雨の絵もあぶり出しも彼の作品とは関係がある。これで一般の人の私の作品の評価も上がるかと思うと実は逆。幾人もの人に「英三、イヴ・クラインがもう雨の絵はやっていたよ」と言われる。実際彼がパリからニースまで屋根にキャンバスを乗せて時速百キロで走って風雨に打たれるにまかせた「風の絵」が、今回の展覧会の解説に「風、雨に曝すことで気象、自然の状況と瞬間の印を取る」と私の雨の絵のようなコンセプトが書かれている。御想像のように雨に曝しても私の「雨の絵」とはアプローチも出来上がりも随分違うのだが。かつ「雨」と題された紙の小さな習作を発見!確かに水滴が落ちたようなあとがまばらな青い地についている。普通の人はタイトルしか読まないし、風の絵も含めてコスモゴニーと題されたシリーズはあまり成功した作品とは言えないのだが、上にあげたエコロジー的な現代的視点を強調した解説で、名のなき私はイヴ・クラインの真似しにされてしまう。本当にちゃんと作品を見てほしいよ。結果が有無を言わさず違うでしょうが。イヴ・クラインは大作家だが、雨に限れば私の方が上を行っています!!!

実際雨だけでなく「これは誰々がやった」と簡単に言われることが多い。キス集めでも「他の日本人がもうやっている」と宣言されてあせったことがあったが、その人は私が二千年前に田舎町でどさ回りしていた時に私本人を見かけたにすぎなかった。でもなんでこんな発言になるのかね? マルシェル・デュシャンは「模倣の模倣が美術史を作る」と言ったが、それを文字どおりでしか解釈していないのだろうか?